連休で鎌倉に行ってきました。
中日だったのでとてつもない混雑。お昼時はどこのお店もみんな行列で、食事にありつくまで45分くらいかかるほど。鎌倉−長谷間で乗った江の電は、都心のラッシュ並みにぎゅうぎゅうで、先を争う人たちで殺気立った雰囲気でした。そんなにも人が押し寄せているので、さぞかしお金も落ちているのでしょう。お店は18時くらいにさっさと閉めてしまうところがほとんど。物事の需要と供給にまつわる立場の上下関係のことわりを見たような気がします。
そういえば、先日は酉の市(二の酉)だったのですが、いつもの神社に行ってみるとそこそこの人手で、鷲神社にお参りする行列がずらりと並んでおり、「熊手を買う前にキチンと神様にお参り(警備員さん曰く”ごあいさつ”)する」という価値観と「とにかく熊手が買えればそれでよい」という価値観の交錯を見ました。行列に並びたくない方々の「なんだ熊手は並ばずに買えるんじゃないか。ならとっとと行こうぜ」という、お参りの行列に対してどことない嫌悪感を振りまきつつ通り過ぎていく様が、自分にはなんだか熊手を何かの限定グッズであるように認識しているように見え、信仰はそれほど厚くないことを自他ともに認めているのに、年始はかならず神社にお参りに行く構図と同じものを感じました。
久しぶりの鎌倉でしたので、鎌倉大仏にも立ち寄りました。
前に行った時の記憶はだいぶ定かでないのですが、確か小学生くらいの頃ではなかったかと思います。考えてみると、それでもせいぜい数十年程度の昔のことで、対する大仏様はかれこれ750年あまりもそこに鎮座されているんですよね。細く開けた半眼のその瞳からご覧になっている人々の様相は750年前とどれくらい様変わりしているのでしょうか。
そんなことを思いながらともあれ混雑の中、大仏様の前で手を合わせました。
そして振り返ってみると、おびただしい数のスマホ、カメラ、スマホ。
そういえば自分も無意識のうちに、お参りの前にiPhoneとデジカメのカメラを大仏様へ向けていたのでした。
また中には、「手乗り大仏」の写真を撮ろうとポーズを撮っている方々もそこかしこに。はたから見ると、まるで大仏様の一大撮影会のようでした。
日が傾いてきて、ライトで照らされ始めた大仏様の横顔を見ながら、あらゆるスマホやデジカメが自分に向けられている光景を見て、どんなことを感じているか、叶うならば聞いてみたくなりました。
ふと思い立って、一束50円のお香を買い求め、お供えをしました。
どうかこの先、
成すべきことを成すことができますように。