くぐつ島生活記

山登りは自分で学ぶ。本をたくさん読む。それが生活のきまり

Month: 3月 2011

認識。

■3月22日火曜日。連休明け。

■特に大きく夜ふかしはしていないのだが、なぜだがとても睡眠不足。前の日から冷たい雨が降っていたので、またヒートテックを着て出社。

■仕事をする日常は節電以外はほぼいつも通り。自分のいるフロアは明かりを半分にしていて、廊下やその他の共用スペースはすべて必要時のみ明かりをつけることになっている。そのため、フロア以外はいつも真っ暗。しかしそれでも、コピー機は常に電源が入れられ、休み時間でもPCを止めるような指示は出ていない。これが夏になったらもっと厳しくなるのだろうか。

■昨日、「東日本沖で起きた巨大地震について」 というエントリを読んで、いろいろ考えていた。地学的な話はさておき、「頭を切り替える」必要があることについては、地震発生からずっと考えていることだった。今回の震災と原発事故で、自分が住んでいた世界とは、いつでも、ある日突然全く変わってしまうかもしれないことを嫌というほど思い知った。その上で今後どう行動したいのか。ずっとその事ばかり考えている。

■今日は東京でも余震が多い日だった。あまりの睡眠不足で昼休みにデスクで少し寝ていた時に緊急地震速報が鳴り、長めの縦揺れが続いた。それを皮切りに、ツイッターのタイムラインにはひっきりなしに地震速報が入り、何度となく揺れを感じる一日だった。地震発生から10日経っているが、余震は全く衰える気配がなく、それどころか、富士宮や長野、新潟などでも余震が発生していた。昨日の夜は、熊本での地震速報が入り、タイムラインがにわかに騒然としていた。前述のエントリでは「日本の地殻は、言わばパンドラの箱が開いてしまった状態にある」との記述があったが、まさにそれを感じさせるような一日だった。

■そんな日でも現場は何も変わらない。今日も、依頼された不具合調査を行っていたら、様々な種類のファイルをダウンロードする処理であるのに、ContentTypeをtextに固定した、いかにもコピペくさいコードが書かれているのを発見した。「これぞSIerクオリティ。何が起こっても変わらない」。続く余震を感じながら心の中で毒づいた。

■帰宅したら、福島第一原発は電源復旧に大きく進展があり、2、3号機の制御室に電源が入ったとの一報が入った。また、全体としては放射線の線量も減少してきているということも伝えられた。しかし一方で、昨日2、3号機から原因不明の煙が発生し、作業が一時中断されていたり、また今日には米原子力空母「ジョージ・ワシントン」と、第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」が、待避するかのように佐世保に移動しているとの報道( http://t.co/gC0rPEs ) があったり、また原発付近の海水からの放射性物質検出の報道など、到底安心には程遠い状況が続いている。

■余震が少し落ち着いたあたりで防災用の溜めていたフロの水を抜いたのだが、余震があまりにも頻発していたので、帰宅してから改めて溜め直しておいた。

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追記
コンクリートポンプ車の注水の動画が配布されました

3月22日配布 東京電力 映像資料ノーカット版
http://www.nicovideo.jp/watch/1300804820

情報源。

■3月20日日曜日。

■久しぶりにゆっくり眠れた気がした。午前遅くに起床。今日も朝に状況悪化の知らせはなし。

■近所のコンビニの品揃えがいっこうに回復しない。ミネラルウォーター、カップラーメン、パンの3種は相変わらず完全に売り切れ。これは単なる買い占めだけが原因ではないように思えてきた。コンビニ弁当とおにぎりはそこそこ並んでいる。

■福島第一原発では、電源の復旧作業と放水作戦が夜通し行われていた。現場の放射線量は少しずつだが減少傾向にある。報道でも現場の作業の様子が伝えられるようになり、事態打開に向けた方向や意志が感じられるようになってきた。昨夜、シャワーを浴びながら「作業に携わっているかどうかを無関係に、どうしてみんながこんな辛い思いをしなければならないのだろう。たかが電気のことなのに」と言う事を考えた。普段何気なく使っていたものが、どのようなモノの犠牲の上に成り立っていたのか。軽水炉が比較的安全だということは分かるが、でも今、その軽水炉で多くの人々を巻き込む事態となっているのはどうしてなのか。自分は、その事を本当は知りながらも、実は今はじめてその事をやっと理解したのではないだろうか。原発稼働の是非についてはすでに議論が巻き起こっているが、仮に、もしも日本が今後も原発を使い続けるのならば、電気がなければ絶対にできない仕事をしている自分は、それ相応の覚悟を持って日々電気を使わなければならないような気持ちになっている。

■時間が経つにつれてTV局では震災と原発事故の詳細について詳細な特別番組を放映し始めていた。NHKスペシャルの特集を見たが、あまりに厳しい現実に身につまされる思いになった。それでも笑顔でいる人もいる。まずやってみようと言う80歳のおじいさんもいる。ダメもとでも捜索してくれる海外の救助隊もいる。みんな本当に必死。今この時も。そしてこれからもずっと。

■好きな動画がある。見たことがある人もきっと多いだろう。どんな時もこのスピリッツを忘れずにありたいと思う。

YouTube 【地震】じいさん「また再建しましょう」

■今さら感はあるが、自分のTwitterのタイムラインに並べている震災・原発関係の情報源フォロワーを以下に列記してみる。ちなみに、リストの中の陸上自衛隊は昨日作られたばかりのアカウントである。他にも今回の震災後に作られたアカウントもいくつかあり、今回Twitterは本当に重要なインフラとして機能していると思う。

@eqbot
地震速報
@zishin3255
緊急地震速報bot(β)
@nhk_kabun
NHK報道局科学文化部
@nhk_seikatsu
NHK生活情報部
@Kantei_Saigai
首相官邸(災害情報)
@asahi_kantei
朝日新聞官邸クラブ
@FDMA_JAPAN
総務省消防庁
@mextjapan
文部科学省 MEXT
@OfficialTEPCO
東京電力
@JGSDF_pr
陸上自衛隊
@daily_tohoku
デーリー東北新聞社
@BeFM_hachinohe
青森県八戸市のコミュニティラジオ局BeFMの公式アカウント
@hayano
東京大学理学系研究科教授。
@team_nakagawa
東大病院放射線治療チーム
@CNFJ
在日米海軍司令部
@US7thFlt
アメリカ第7艦隊。米海軍横須賀基地に前方配備されている旗艦ブルーリッジ艦上
@jishin_dema
東北関東大震災に関するデマまとめ。

吉祥寺。

■3月19日土曜日。

■とても天気のいい日だったので、久しぶりに窓を開けて、布団を干し、掃除と洗濯。関東は移動性高気圧に覆われてすっきりした快晴。気温も高くなって久しぶりに春らしい陽気になった。

■洗濯を干し、掃除機をかけ終わるとすっきりとした気持ちになった。よっぽどこの一週間は緊張の連続だったのだろう。もちろん被災地や福島とはくらべようもないが、それでも、起きていることは全て確実に身に降りかかっているのを実感する。よせばいいがすっかり習慣づいてしまったので、今日もたまに日野のガイガーカウンターをチェック。グラフは安定しているが、事故前よりはやや高めの値。現場も含めてもう一段下がりやがれと念を送る。

■夕方からは彼女と合流して吉祥寺に出かけた。天気のいい土曜日だけあって、割といつも通りの人出だったが、駅ビルの商業施設は閉店。そして街も看板などはみんな電気を消しており、やはり雰囲気がいつもどおりではない。卒業シーズンなせいか、着飾っている若者たちが大勢出ている気がした。

■ヨドバシカメラで彼女が新しく購入するMac Bookを見ている際に、大きい余震が来て少し緊張した。思えば今まではいつも仕事をしている最中か自宅にいる時のみに揺れに遭遇していて、街中や商業施設では経験していなかった。天井のおびただしい数の揺れる蛍光灯に軽い恐怖を感じる。震源は茨城と埼玉。茨木の方は震度5前後。まだまだ全く油断することは出来ない。

■福島第一原発では、3号機に対する放水作戦が展開され、一定の成果を上げていた。帰宅してからTVで東京消防庁による会見を見たが、声を詰まらせて家族にお詫びとお礼を言っていた隊長の様子から、現場の厳しい雰囲気が伝わってきて身につまされた。どんなに知識があっても、訓練を受けていても、やはり誰だって放射能は怖い。ましてや、東京消防庁においてこのような放水に参加するなんて夢にも思ってなかっただろう。その心中は察するに余りある。

■本日の政府発表で、すでに農作物や牛乳、各自治体の水道水などに放射性物質が検出されていることが伝えられた。これはどんなに僅かな量であってもインパクトは大きいものだが、これに対して東大病院放射線治療チームが素早く反応して情報を発信している。内容は→東大病院放射線治療チームによる「内部被ばくと福島の”牛乳問題”の解説」

■どうにか状態を安定させていても、やはり疑心暗鬼は生まれる物。ネットのそこかしこで4号機プールの状態に関するアメリカ当局の懸念や、米軍のグローバルホークの収集データが非公開されたことなどについて憶測が飛び交いつつある。しかし、今は信じて祈ることしか自分には出来ない。

東京都による救援物資の受け付け

どうもあまり知られていないらしく、物資の集まりが良くないそうです。
できるだけ広めて頂けると。 受付品目も記載されています。

東北地方太平洋沖地震に伴う支援(救援物資の受け付け)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2011/03/20l3hd00.htm

週末。

■3月18日金曜日。地震発生から丸一週間が過ぎた。

■今週は毎朝起きるたびに恐ろしいニュースが入ってきていたが、やっとこの週末はこれ以上は悪い話は上がってこなくなった。

■昨夜からかなりの冷え込みだったが、それでもエアコンをつける気にはなれなかった。冬山用の防寒着を着て寝ていたので、朝からそのままの格好で出かける準備。自分の地域は第2グループなので、本日は9:20から13:00までの停電。同じ時間に電車も運休のはずだったが、電気需給が改善している模様で、本数を減らしての運行となったらしい。日に日にみんなこの停電生活に適応しつつあり、こんなサイトまで作られるようになった → http://110chang.com/rinban/

■本日は銀座での作業だったのだが、最初に機材を取りに築地へ出社。みずほ銀行がシステム障害をやらかしてくれて、ここ数日ATMが止まりまくっていたのだが、Twitterで「支店内のATMで引き出しのみ復旧」というPOSTを発見したので、すかさず立ち寄って引き落とし分以外のお金を引き出して、別の口座へ移動した。義援金の大量送金による口座振替の大規模遅延のようだが、このタイミングで発生させるというのは卓越した芸のようにも思えた。10年近く前の統合時にATMで引き出しをしたら現金が出てこずに金額だけ減ったという離れ業をやってくれたことがよみがえる。

■しかし、現在我がプロジェクトも総力戦の様相となっていて、必要に応じてホテル宿泊の許可まで出ていた。つまり、停電しようが余震が来ようが納期はまったくもって変更を許されないという状況。何もこんな時にと最初は思っていたのだが、日に日に冷静さを取り戻してくると、今の状況で数カ月後の経済状況が一体どうなっているのかは全く見当もつかず、それを考えると、仕事があるうちは出来る限り働いておいた方がいいという気持ちになっていた。きっとこれから、予定していた新規開発案件が次々と中止されるのは目に見えている。

■福島第一原発では使用済み核燃料の貯蔵プールに対して放水が続行されていた。別にケーブル敷設などによる外部電源の復旧作業も並行して行われている。また、米軍から450人の放射線事故専門部隊が日本に向かっているとか、政府が「東電が米支援は不要と」と言ったことで対応が遅れたことを批判したとか、避難目的で大阪のホテルに予約が殺到しているなどの情報が飛び交っていた。全体的には報道から焦りがなくなっているような印象。しかし、今なんとなく落ち着いているように見えたり感じられたりしているのは、単にガイガーカウンターの値が安定しているからに過ぎず、この安定が崩れたときは再び恐れとの対峙が始まる。燃料棒融解による放射性物質の露出とその飛散の危機は未だ去ってはいない。どこかのブログのタイトルで「恐れすぎず、安心しすぎず」というような言葉を見かけたが、確かにそうだと思った。だが日々大量に流される報道を前にして、それを維持するのは至難の業だろう。

■今日は大規模停電のような問題は起きず、作業も久々に安定的に進められた。今日はとても寒かったし、銀座の現場もビル内が結構寒いところなので、スラックスの下に山でもたまに使っているヒートテックのタイツを履いてみたら、意外とちょうどよく快適だった。こんな時でもIE6の「仕様」との格闘は続くばかり。

■被災地の情報は厳しい物ばかりだったが、とりわけここ数日は物資不足に関するものが目立っていた。特に被災地以外でのガソリンの買い占めは深刻な影響を及ぼしていて、被災地への物資の輸送どころか、都内でも様々な物品の配送ができなくなったりしていた。その分だけ、米軍による輸送のニュースは特に目立っているように思えた。東京都でも個人からの物資提供の受付が始まっていることを知ったので、水を調達することができたら少しでも送りたいと思った。

■深夜前までめいっぱい働いて帰宅。彼女と遅くまで電話で話す。ずっと緊張が続く一週間だったので、週末はゆっくり過ごしたいと話し合う。NHKのTVがようやく深夜にループ画面になっていた。

■そういえばと思い出してカーテンを開けてみたら、一年前に高尾山で知り合った人からもらったセッコクの花がだいぶ開いていた。深夜は寒かったが、それでもやはりエアコンをつける気にはなれなかった。

7日目。

今年最初の投稿がこんな時になってしまったが、こんな時だからこそ、日記に書き残しておこうと思った。

■3月17日木曜日。地震発生から7日目。

■計画停電3日目。今日は日中なので問題なし。朝出かけるときには冷蔵庫以外の全部のコンセントを忘れずに抜いていく。月曜の出勤は調布で駅に入るまで2時間待ちという有様だったが地元路線もやっと動くようになって有り難く通勤。調布に自転車を置いているが、イザという時のために回収せずにいる。

■余震が続いているし、毎日何が起こるかわからないので、ずっと登山装備で通勤している。40リットルのザックに、水1リットル、食料(りんご、リフィルタイプのカップ麺、ソーセージ、アルファ米(水でも戻せる))、コッヘル、ヘッデン、トーチ、予備の眼鏡、たくさんのエネループ乾電池とエネループのUSB給電デバイス、携帯、ポータブルWIFI、IPodNano(FMラジオが入る)、ノートパソコン、各機器のすべてのACアダプタ、防寒着、手袋、首都圏から自宅までの地図、会社関係のカードなど。持ち物としては多いけど、登山装備としては割と普通な感じ。

■会社に入る前に一応コンビニを覗いてみる。都内では明らかに過剰反応というべき買いだめというより買い占めが横行しており、食料品と水が異常に不足していた。地震後からしばらくは自宅でおにぎりを握るなどして、昼も夜も食料持参で仕事場に通っていた。さすがに少し物流が回復しつつあって、少量のコンビニ弁当やおにぎりが置いていたので、すかさず昼ごはんを買っておいた。

■社内はほぼ全員が出社して、だいぶいつもの風景に戻ってきていた。しかし、27階という高層階のため余震の影響を受けやすく、いつも揺れている感じが続いていた。おまけに床が柔らかい構造のため、巨漢が通るたびに余震と勘違いしてしまう始末で、どうも落ち着かない。ここ数日は、福島第一原発の状況悪化に、度重なる余震のために眠れない日々が続いていて、時々軽いめまいまで感じている。

■福島第一原発は膠着状態が続いているように見えた。東京電力のプレスリリースによると、1、2、3号機の原子炉には海水の注入が続けられており、現在は3号機、4号機の建屋内部に保管されている使用済み核燃料の状態が問題視されていた。昨日ようやく出てきた衛星写真を見る限りでは、素人目には状況は極めて深刻で、危機が刻一刻と迫ってきているように見えている。よせばいいのに、日野のガイガーカウンターをチェックしたり、ツイッターなどで状況の確認をしているせいで、1号機、3号機の水素爆発や、4号機の火災、都内における放射線量の一時的な上昇が確認されたりするたびに、強い精神的なショックを受けて、焦燥感との戦いをするハメになっていた。不安にならないはずはない。生まれ故郷には六ヶ所村があり、広島の原爆のみならず、子供の頃からずっと原子力に関する教育を叩き込まれてきた。放射能の恐怖。チェルノブイリ。東海村。チェレンコフ光。被曝。メルトダウン。「危険な話」。ピカドン。映画「チャイナ・シンドローム」。積もり積もったその経験の全てが、ひっきりなしに警告を発してくる。もう終わりかもしれない、と。

■思えば、先週の木曜日までは本当に何の心配もいらない日々だったと思う。ちょうど人生の分岐点にさしかかって、新しい分野の仕事へ向けて着々と準備を進めていた。山は少し休んでいたが、2月には彼女と二人で北八ヶ岳で大量の雪の結晶を浴びながら、縞枯山や茶臼山、北横岳を登っていた。景色は本当に美しくて、今年はほとんど冬山には行けなかったけど、来年はきっと準備を整え実力をつけて、たくさんチャレンジしたいと心に決めていた。国の経済の先行きや、自分の今後のこと、家族のことなど、確かにいろいろ考えたり、不安に思ったりすることはあった。年齢には差別的なこの日本で、このままずっとやって行けるんだろうか。想像だにしなかったスピードで技術が進化していく中で、今後もついていけるんだろうか。SIerはもうジリ貧かもという認識は半分は正しいと思う。ますます競争は激化していって低価格短納期高品質化が進み、それについていけない会社は倒れていくだろう。思ったよりも速いスピードで業界は再編され、市場規模は収縮していくかもしれない。それになのに、本当に今のままの立ち位置で仕事を続けていいのか?と。

■しかし1号機の爆発を見た瞬間に、それらは全て本当に「大した」問題ではなかったのだと悟った。努力しさえすればきっとなんとかなる。けれども原発は駄目だ。自分がどんなに努力したって全くどうにもならない。自分の日常がミシミシと壊れていく音が聞こえてきた。放射線の悪夢からは逃れらない。仮に東京が無事だったとしても社会への大打撃は免れないだろう。その時生活はいったいどうなる?疎開?西かあるいは新潟まわりで実家?仕事は?住まいは?彼女は?

■一時期はそんな風にパニックに陥った。正しい情報や放射線に関する知識を手にすることでようやく今日は落ち着いてきていたが、仕事中に時々ため息をついているのに気づいて、やはり確実にショックを受けているのを実感した。どこかの外国人がエントリをしていたが、やはり放射線そのものの被害よりも心理的ダメージの方がはるかに危険であるように思えてきた。だがこればっかりは仕方がない。どんなに頭で放射線量について理解しても、体に染み付いた恐怖はなかなか黙ってくれない。これは単独で高尾から陣馬を夜間山行した時に感じたものに近い。そう。「恐れ」は自分の中にのみ存在するのだ。現場ではヘリでの使用済み核燃料プールへ注水が行われていた。素人目には本当に「焼け石に水」としか映らない。

■仕事が一段落ついた頃に、「予測不能な大規模停電のおそれ」という一報が入った。計画停電を行っていたがこのところの冬型の気圧配置のせいで暖房需要が高まり、相当量の電力が足りなくなるという。しばらくしてにわかに社内が慌ただしくなり帰宅指示が出た。ビルの防災放送からも、可能な限りの退館をしてくれとのこと。これでは総員退館だ。ふと思ってGoogleリアルタイム検索でツイッターの状況を見てみると、案の定、都内の主要駅は人ごみで地獄絵図だとか。まわりは慌ただしく退社していく中で、とりあえずGoogleリアルタイム検索を新宿、中央線、都営新宿、丸の内線などのキーワードを並べて6枚同時に動かし、刻一刻と変化する混雑状況をしばらく眺めてみた。軽い攻殻ちっくな全能感。やはりいつものルートは使えない雰囲気だったので、東銀座まで歩いて、都営浅草経由で総武線に接続してみることにした。仮に停電したとしても、水も食料もザックに入ってるし、一晩ならなんとかなる。

■一応停電を警戒してエレベーターを使わずに27階を階段で降りてビルを出た。歩きながら実家に電話。みんな元気そうで何よりだった。

■結局時間をずらしたせいもあって帰りはほとんど問題なかった。問題の停電も回避された模様。本当に震災後はツイッターが強力に役に立ってる。災害向けのフォロワーやアプリなどは、別途日記に書く予定。