今年最初の投稿がこんな時になってしまったが、こんな時だからこそ、日記に書き残しておこうと思った。
■3月17日木曜日。地震発生から7日目。
■計画停電3日目。今日は日中なので問題なし。朝出かけるときには冷蔵庫以外の全部のコンセントを忘れずに抜いていく。月曜の出勤は調布で駅に入るまで2時間待ちという有様だったが地元路線もやっと動くようになって有り難く通勤。調布に自転車を置いているが、イザという時のために回収せずにいる。
■余震が続いているし、毎日何が起こるかわからないので、ずっと登山装備で通勤している。40リットルのザックに、水1リットル、食料(りんご、リフィルタイプのカップ麺、ソーセージ、アルファ米(水でも戻せる))、コッヘル、ヘッデン、トーチ、予備の眼鏡、たくさんのエネループ乾電池とエネループのUSB給電デバイス、携帯、ポータブルWIFI、IPodNano(FMラジオが入る)、ノートパソコン、各機器のすべてのACアダプタ、防寒着、手袋、首都圏から自宅までの地図、会社関係のカードなど。持ち物としては多いけど、登山装備としては割と普通な感じ。
■会社に入る前に一応コンビニを覗いてみる。都内では明らかに過剰反応というべき買いだめというより買い占めが横行しており、食料品と水が異常に不足していた。地震後からしばらくは自宅でおにぎりを握るなどして、昼も夜も食料持参で仕事場に通っていた。さすがに少し物流が回復しつつあって、少量のコンビニ弁当やおにぎりが置いていたので、すかさず昼ごはんを買っておいた。
■社内はほぼ全員が出社して、だいぶいつもの風景に戻ってきていた。しかし、27階という高層階のため余震の影響を受けやすく、いつも揺れている感じが続いていた。おまけに床が柔らかい構造のため、巨漢が通るたびに余震と勘違いしてしまう始末で、どうも落ち着かない。ここ数日は、福島第一原発の状況悪化に、度重なる余震のために眠れない日々が続いていて、時々軽いめまいまで感じている。
■福島第一原発は膠着状態が続いているように見えた。東京電力のプレスリリースによると、1、2、3号機の原子炉には海水の注入が続けられており、現在は3号機、4号機の建屋内部に保管されている使用済み核燃料の状態が問題視されていた。昨日ようやく出てきた衛星写真を見る限りでは、素人目には状況は極めて深刻で、危機が刻一刻と迫ってきているように見えている。よせばいいのに、日野のガイガーカウンターをチェックしたり、ツイッターなどで状況の確認をしているせいで、1号機、3号機の水素爆発や、4号機の火災、都内における放射線量の一時的な上昇が確認されたりするたびに、強い精神的なショックを受けて、焦燥感との戦いをするハメになっていた。不安にならないはずはない。生まれ故郷には六ヶ所村があり、広島の原爆のみならず、子供の頃からずっと原子力に関する教育を叩き込まれてきた。放射能の恐怖。チェルノブイリ。東海村。チェレンコフ光。被曝。メルトダウン。「危険な話」。ピカドン。映画「チャイナ・シンドローム」。積もり積もったその経験の全てが、ひっきりなしに警告を発してくる。もう終わりかもしれない、と。
■思えば、先週の木曜日までは本当に何の心配もいらない日々だったと思う。ちょうど人生の分岐点にさしかかって、新しい分野の仕事へ向けて着々と準備を進めていた。山は少し休んでいたが、2月には彼女と二人で北八ヶ岳で大量の雪の結晶を浴びながら、縞枯山や茶臼山、北横岳を登っていた。景色は本当に美しくて、今年はほとんど冬山には行けなかったけど、来年はきっと準備を整え実力をつけて、たくさんチャレンジしたいと心に決めていた。国の経済の先行きや、自分の今後のこと、家族のことなど、確かにいろいろ考えたり、不安に思ったりすることはあった。年齢には差別的なこの日本で、このままずっとやって行けるんだろうか。想像だにしなかったスピードで技術が進化していく中で、今後もついていけるんだろうか。SIerはもうジリ貧かもという認識は半分は正しいと思う。ますます競争は激化していって低価格短納期高品質化が進み、それについていけない会社は倒れていくだろう。思ったよりも速いスピードで業界は再編され、市場規模は収縮していくかもしれない。それになのに、本当に今のままの立ち位置で仕事を続けていいのか?と。
■しかし1号機の爆発を見た瞬間に、それらは全て本当に「大した」問題ではなかったのだと悟った。努力しさえすればきっとなんとかなる。けれども原発は駄目だ。自分がどんなに努力したって全くどうにもならない。自分の日常がミシミシと壊れていく音が聞こえてきた。放射線の悪夢からは逃れらない。仮に東京が無事だったとしても社会への大打撃は免れないだろう。その時生活はいったいどうなる?疎開?西かあるいは新潟まわりで実家?仕事は?住まいは?彼女は?
■一時期はそんな風にパニックに陥った。正しい情報や放射線に関する知識を手にすることでようやく今日は落ち着いてきていたが、仕事中に時々ため息をついているのに気づいて、やはり確実にショックを受けているのを実感した。どこかの外国人がエントリをしていたが、やはり放射線そのものの被害よりも心理的ダメージの方がはるかに危険であるように思えてきた。だがこればっかりは仕方がない。どんなに頭で放射線量について理解しても、体に染み付いた恐怖はなかなか黙ってくれない。これは単独で高尾から陣馬を夜間山行した時に感じたものに近い。そう。「恐れ」は自分の中にのみ存在するのだ。現場ではヘリでの使用済み核燃料プールへ注水が行われていた。素人目には本当に「焼け石に水」としか映らない。
■仕事が一段落ついた頃に、「予測不能な大規模停電のおそれ」という一報が入った。計画停電を行っていたがこのところの冬型の気圧配置のせいで暖房需要が高まり、相当量の電力が足りなくなるという。しばらくしてにわかに社内が慌ただしくなり帰宅指示が出た。ビルの防災放送からも、可能な限りの退館をしてくれとのこと。これでは総員退館だ。ふと思ってGoogleリアルタイム検索でツイッターの状況を見てみると、案の定、都内の主要駅は人ごみで地獄絵図だとか。まわりは慌ただしく退社していく中で、とりあえずGoogleリアルタイム検索を新宿、中央線、都営新宿、丸の内線などのキーワードを並べて6枚同時に動かし、刻一刻と変化する混雑状況をしばらく眺めてみた。軽い攻殻ちっくな全能感。やはりいつものルートは使えない雰囲気だったので、東銀座まで歩いて、都営浅草経由で総武線に接続してみることにした。仮に停電したとしても、水も食料もザックに入ってるし、一晩ならなんとかなる。
■一応停電を警戒してエレベーターを使わずに27階を階段で降りてビルを出た。歩きながら実家に電話。みんな元気そうで何よりだった。
■結局時間をずらしたせいもあって帰りはほとんど問題なかった。問題の停電も回避された模様。本当に震災後はツイッターが強力に役に立ってる。災害向けのフォロワーやアプリなどは、別途日記に書く予定。